音は力

date:1997.12.23

 音には人の意識に対する強制力がある。大きな音は無理やりその音を聞かざるをえない状況に人を追いやる。スピーカひとつで空間を支配することさえできるのだ。

 勤務先の忘年会が毎年温泉旅館で行われる。だいたいアトラクションとして太鼓やら唄やらいろいろとサービスしてくれる。忘年会は懇親のためにあることを考えると、本当は色々な人とおしゃべりを楽しみたいのだが、隣の人と話をするときでさえ耳元で大声を出さなければ何をいっているのか聞こえなくなる。室内の狭い空間に不釣り合いな大音量である。演じる方はそれを良しとしているのが腹立たしい。

 それを目的に聴きに来ているのならば、その状態を楽しみ、陶酔さえする。しかし、聴きたくもないものを強制的に聴かされるというのは、大変な苦痛である。

 すなわち合意の元にある音は、ある程度大きな音であっても許される。村中で楽しみにしていた祭りの太鼓や唄ならば、そういえるわけだ。かつての忘年会もそんな物だったかもしれない。しかし、時代とともに状況は変わる。人々の楽しみも変わる。

 実は同じような例はたくさんある。何かしらイベントがあるとどでかいスピーカーを積み上げて大音量で音をまき散らす。賑わいの創出だとかいいつつ、賑わっていない空間に音をまき散らす。音に対する感性が鈍っているとしか言いようがない。

 音は力であることをよくわかっているのが暴走族だろう。爆音で人の意識を支配する。決して共感されない支配である。このような音の力の使い方のことを「暴力」という。


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